メジャーでも活躍が止まらない大谷翔平。3月に行われたwbcでの活躍ぶりも見事でしたね!
Twitterでは「大谷バケモン」なんてワードがトレンドに上がっていましたが、
そんな「イケメン」「勤勉」「強い(強すぎ)」という主人公要素3拍子揃った人物を育てあげた両親とは一体どんな方達なのか?
調べてみると父母共に元スポーツ選手で、その経歴についても輝かしいものが多くあることが分かりました!
ということで今回は大谷翔平の両親について経歴や職業を紹介していきます!
大谷翔平の両親ってどんな人?:父親(大谷徹)のプロフィール紹介!
大谷翔平も190センチ超えの高身長で知られていますが、この恵まれた体格は親譲だったんですね。
大谷翔平の父親:職業は「三菱重工」と「野球部コーチ&監督」
大谷翔平の父親の職業は「三菱重工」と「野球部のコーチ&監督」です!
まずは三菱重工について簡単に紹介!
大谷徹さんは三菱重工の中でも「三菱重工横浜」という所で働いていたことがわかっています。
調べてみたところ、主に開発事業に携わる仕事みたいですよ!
その他にも野球部のコーチ、監督としても尽力された方のようです!
後述しますが、実は徹さん、元々中学から野球をやっていてめっちゃ活躍していた方なんですよ!
小学時代に翔平が所属していた「水沢リトル」でコーチを担当したのをきっかけに、中学でも別チームに移動した翔平の元でコーチを務め、現在は「金ケ崎リトルシニア」という少年野球チームで監督を務めているようです。
翔平をここまで支援していたのには、どうやら理由があったらしく、当時まだ会社が忙しく時間が取れなかった時代に、長男の大谷龍太へあまり時間を使うことができなったことが心残りになっていたとか。
にしても、大谷翔平の実の父が監督なんて、少年たちからしたらこれ以上嬉しいことはないでしょうね!
大谷翔平の両親は何をしていた?:父親の経歴紹介!
分かっている大谷翔平の父親の経歴について紹介していきます!
中学は陸部と野球部で活躍!
大谷徹さんが野球を始めたのは、父親から勧められたことがきっかけだったそうですが、
当時は「坊主頭にするのが嫌だ」という理由から野球部には入らず陸上部に入部し、中学2年の時に転部して野正式に野球部に入ったみたいです!
野球の才能は目を見張るものがあったらしく、中学の時はエース兼4番を任されるというチームの主力として活躍!県内の強豪校からも注目を集めていた選手だったと言います!
さすが大谷翔平の父親だけはある。
高校時代は野球強豪校で甲子園出場を目指す!
中学卒業後は野球の強豪校で知られる「岩手県立黒沢尻工業高等学校」へ進学します。
岩手県立黒沢尻工業高等学校
設立:1939年
制度:男女共学
国公私:公立
1、3、5番といったメイン打線を任されたり、県大会出場に貢献していたことが知られています。
高校では「甲子園出場」を目標に挑んでいた大谷徹さん。
残念ながら最終成績は、県大会初戦敗退で終わり、甲子園出場の夢は叶えることができませんでした。
その後、大谷翔平が甲子園出場を決めているのを考えると、なんとも感慨深いですね。
社会人野球チームで主力として活躍
高校卒業後は社会人野球チーム「三菱重工横浜野球部」に入社。
三菱重工横浜野球部
神奈川県横浜市に本拠地をおくチーム。
三菱重工の部活の中でもとりわけ力を入れていたのが野球部で、日本野球連盟に加盟し、その中でも4強と謳われるチームの一角。
こちらのサイトから→チームの戦績を見てみると「京都大会」「四国大会」などで準優勝しているチームみたいで、社会人チームの中でも指折りの団体なんじゃないでしょうかね!
ただ、大谷徹さんの社会人チームでの活躍は、中学や高校時代ほど目を見張るものはなく、
一年目で肩を壊してしまったこともあるのか、最後には監督から戦力外通告されてしまい現役引退を決めたそうです。当時の年齢は24歳だったと言います。
大谷翔平の両親ってどんな人?:母親(大谷加代子)のプロフィール紹介
続いては大谷翔平の母親について!
徹さんもそうでしたが、加代子さんもめっちゃ身長大きいですね!
女性で身長170センチはそうそう居ないですよw
大谷があんなにデカくなったのも頷けます。
大谷翔平の母親の職業は「三菱重工」と「飲食店」!
母親、大谷加代子(かよこ)さんの職業は徹さんと同じ三菱重工と飲食店のパートです!
加代子さんはここで同じ三菱重工で働く徹さんに出会い意気投合。
当時の三菱重工は野球部にめっちゃ力を入れていたこともあって、新入社員は応援団やチアガールを半ば強制的にやらされていたとか。
新入社員だけでも50人近くの女性がいたみたいで、2人の出会いも野球プレイヤーと応援団との絡み合いからだったそうです。
社会人にもなって応援団に強制的に入らないといけないとか、部活サボリマンの私からしたらあり得ないルールなんですが、2人が出会えたのもそのおかげということですね。
加代子さんは結婚後は飲食店の仕事に携わっています。どこの飲食店か詳しい情報はあ分かりあせんでしたが、三菱重工の時よりは時間に余裕を持てたのか小学校から帰ってくる大谷と合間に電話をしていたみたいです。
大谷翔平の両親は何をしていた?:母親の経歴紹介!
小学校の時にバトミントンをはじめる。
神奈川県横浜市に生まれた加代子さん。
徹さんと同じく幼い頃からスポーツ好きで、小学校の時は友達の誘いでバトミントンクラブに入っていたみたいです。
元々の運動センスと恵まれた体格もあってか、そこで早くも才能を発揮していったそうです。
中学生の時に全国準優勝
中学時代は正式にバトミントン部に入部。
中学でも実力を見せつけ3年次には全国出場。準優勝に輝いています!
小学生1、2年の頃からバトミントンクラブとかに入っているならわかるんですが、ほど中学からのスタートで全国優勝するって本当にすごいですね。
高校はバトミントン強豪校へ進学!
その後もバトミントンは続け、高校はバトミントンの強豪で知られる「神奈川県立横浜市野高等学校」へ進学!
この高校について調べたところ、2022年の実績は「県大会出場」ということで、あまり強いイメージが湧きませんが、
当時はインターハイ常連校との呼び声が高く、かなりの強豪校として知られていたようです。
目標のインターハイには出場できた加代子さんでしたが、優勝には届かなかったそうです。
当時を振り返って「上には上がいることを実感した」とインタビュー答えていました。
結婚後はよく翔平とバトミントンをやっていた!
高校を卒業し、三菱重工へ就職すると、その中のクラブにもバトミントンはあったそうで、嗜む程度でやっていたとか。
野球部とは違いそこまで力が入ったクラブではなかったようです。
翔平が生まれると、よく公園や近くの空き地でバトミントンをしていたみたいなんですが、どうやら翔平もバトミントンのセンスが良かったんんだとか。
加代子さんは当時について「かなり腕が良かった」「あの年にしては威力が妙に強かった」と打ち合っている段階で感じていたようです。
今の大谷を見ていると、なんとも父母のスポーツセンスを余すことなく受け継いたんだなと感じます。
大谷翔平の両親の職業についてまとめ!
ということで、今回は大谷翔平の両親の職業について紹介していきました!
まとめるとこんな感じです!
・父親の職業は三菱重工横浜。
・結婚後は小学校、中学校の野球チームのコーチ&監督を務めている
・母親の職業は三菱重工横浜でここで徹さんと出会う。
・結婚後は飲食店で働いている。
・2人とも過去にスポーツ選手だった経歴があり、共に輝かしい経歴を持っていた。